ウイスキーと禁酒法の歴史|アメリカ蒸留所壊滅からカクテル誕生・名門銘柄の裏側まで徹底解説

ユースケ
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こんばんは ユースケです。

自己紹介:BAR WHITE OAK 店主。ウイスキー文化研究所認定 ウイスキーエキスパート。JSA認定ソムリエ。2022年1月 東京・銀座にBAR WHITE OAK をオープン。YouTube、TikTokでカクテル動画を公開中!

ウイスキーの歴史で「最大の悲劇」であり、同時に「最大の変革点」でもあった出来事。それが、1920年から1933年までアメリカで施行された「国家禁酒法」です。お酒の製造や販売を全面的に禁じたこの法律は、アメリカ国内の99%以上のウイスキー蒸留所を廃業に追い込みました。国内の酒造産業にとっては壊滅的な打撃です。
ただ、禁酒法が残したものは悲劇だけではありません。現在につながるカクテル文化の発展、フォアローゼズなど名門銘柄の生き残り劇、スコッチやカナディアンウイスキーを軸にした世界市場の再編。これらも、禁酒法がきっかけでした。この記事では、ウイスキーと禁酒法が紡いだ波乱の歴史を解説します。

  1. 1. そもそもアメリカの禁酒法(1920–1933)とは?
    1. 1-1. 背景:強い酒「ウイスキー」の普及と反ドイツ感情
      1. ① ウイスキーの大量生産と消費量の激増
      2. ② 第一次世界大戦と反ドイツ感情の高まり
    2. 1-2. ザル法だったルール:「製造・販売・輸送」はダメでも「飲むこと」は違法ではない
      1. 法律が禁止していたこと
      2. 抜け穴になった例外規定
  2. 2. アメリカ蒸留所壊滅と名門銘柄の裏側|世界のウイスキー市場の明暗
    1. 2-1. 99%が廃業⁉アメリカ蒸留所の壊滅と「フォアローゼズ」生存の裏側
      1. 99%以上の蒸留所が廃業
      2. 奇跡の生存劇:「フォアローゼズ」と薬用ウイスキー
    2. 2-2. 世界の銘柄に起きた大再編(カティサーク誕生・アイリッシュ失墜・カナディアン急成長)
      1. ① カナディアンウイスキー:密輸ルートで急拡大
      2. ② スコッチウイスキー:「カティサーク」の誕生と大ヒット
      3. ③ アイリッシュウイスキー:偽物の横行でブランドが失墜
  3. 3. 禁酒法が生んだ「光と影」
    1. 3-1. 【影】ギャングの台頭と「毒入りアルコール」の恐怖
      1. ギャング組織(アル・カポネ)の躍進と治安の悪化
      2. 工業用アルコールの毒性と大量中毒
    2. 3-2. 【光】カクテルの誕生と、女性の自由の獲得
      1. 粗悪な酒を美味しく飲む工夫:カクテル文化の進化
      2. 男性の聖域からの解放:女性の酒場進出
  4. 4. 禁酒法は本当に「大失敗」だったのか?(歴史的再評価)
    1. 4-1. 世界恐慌(1929年)と禁酒法の終焉(1933年)
      1. 世界恐慌と税収不足
      2. 憲法修正第21条による廃止(1933年)
    2. 4-2. 「実は目的を果たしていた」禁酒法の成果
      1. ① 政治と酒造業界の癒着を断ち切った
      2. ② アルコール消費量の激減と、健康・労働環境の改善
  5. 5. FAQ(よくある質問)
  6. まとめ:ウイスキーのグラスを傾けながら禁酒法に思いを馳せる

1. そもそもアメリカの禁酒法(1920–1933)とは?

1-1. 背景:強い酒「ウイスキー」の普及と反ドイツ感情

禁酒法ができた背景には、道徳的な理由だけでなく、2つの大きな要因がありました。ひとつは「強い酒(蒸留酒)が急増したことによる社会的混乱」。もうひとつは「戦争に伴う反ドイツ感情」です。

① ウイスキーの大量生産と消費量の激増

19世紀の西部開拓期、ケンタッキー州などでトウモロコシや麦の生産が急増しました。ところが、当時は交通網が未発達です。穀物をそのまま運ぶと、途中で腐ってしまいます。

そこで農民たちは、腐らず価値も上がる「ウイスキー(蒸留酒)」に加工し始めました。安いウイスキーが市場に大量に出回り、ビールやリンゴ酒などの醸造酒が中心だった社会は、度数の高い蒸留酒を日常的に飲む社会へと変わっていきます。

1830年頃には、15歳以上のアメリカ人1人あたりの年間アルコール消費量が、純アルコール換算で約7ガロン(約26リットル)に達しました。現代(約2.3ガロン)の約3倍で、度数40%のウイスキー(750ml瓶)に換算すると約90本分にあたります。アルコール中毒や家庭内暴力(DV)といった社会問題も深刻になっていきます。

② 第一次世界大戦と反ドイツ感情の高まり

20世紀に入ると、第一次世界大戦(1914–1918年)が始まります。アメリカの大手ビール醸造所(アンハイザー・ブッシュやパブストなど)を経営していたのは、その多くがドイツ系移民でした。

戦時中、敵国ドイツへの国民感情が急激に悪化します。タブロイド紙(大衆向けのセンセーショナルな新聞)の報道も手伝って、「ビールを飲むのは敵国を支援するのと同じだ」という激しいバッシングが起こりました。

この世論のうねりが、それまで続いていた禁酒運動と結びつきます。運動の中身は、ピューリタニズム(清教徒的な道徳観)に基づく道徳運動と、反酒場連盟(酒場の廃止を求める圧力団体)による政治工作です。両者が合流して、全米規模の法制定が一気に加速しました。

ユースケ
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禁酒法制定の主な流れ

1917年12月:合衆国憲法修正第18条案が連邦議会を通過
1919年1月:各州での批准が完了(4分の3以上の州が承認)
1919年10月:具体的な規制を定めた「ボルステッド法」が公布(成立)
1920年1月16日(施行は17日):全米で「国家禁酒法」が施行

1-2. ザル法だったルール:「製造・販売・輸送」はダメでも「飲むこと」は違法ではない

「禁酒法の時代は、お酒を飲むこと自体が罪だった」と思われがちですが、これは誤解です。実際の法律には、はっきりした抜け穴がありました。

法律が禁止していたこと

合衆国憲法修正第18条と、その施行法であるボルステッド法が禁じていたのは、次の行為に限られます。

  • 禁止:アルコール度数0.5%を超える飲料の「製造」「販売」「輸送(運搬)」「輸出入」
  • 対象外(合法):個人による「所有」と「飲酒(消費)」そのもの

つまり、施行前に合法的に買って自宅に溜めておいたお酒を飲むのは、まったく問題ありませんでした。

富裕層や政治家、実業家たちは、施行の直前に大量のお酒を自宅の地下室などに買い溜めています。そして法律の目をすり抜けて、飲み続けました。

抜け穴になった例外規定

ボルステッド法には、産業や宗教への配慮から、次の例外も設けられていました。

  1. 医療用ウイスキー:医師の処方箋があれば、薬局で治療薬としてウイスキーを購入できました(心臓病やアルコール依存症の治療名目など)。
  2. 宗教用ワイン:キリスト教のミサ(カトリックの儀式など)やユダヤ教の儀式で使うワインは、製造も消費も許可されていました。
  3. 工業用アルコール:燃料や薬品、化学工業に使うアルコールの製造は続けられました。

これらのあいまいなルールと例外は、穏健派と急進派が妥協した産物です。ところが結果的に、医師の買収による偽処方箋の発行や、工業用アルコールの密売・転用といった不正が横行する原因になりました。

ユースケ
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ラフロイグも薬として処方されてたらしい…

まぁ、消毒液の香りしてるし、当時はウイスキーだとも思われなかったのかも(笑)

2. アメリカ蒸留所壊滅と名門銘柄の裏側|世界のウイスキー市場の明暗

2-1. 99%が廃業⁉アメリカ蒸留所の壊滅と「フォアローゼズ」生存の裏側

99%以上の蒸留所が廃業

禁酒法の前、アメリカ各地(特にケンタッキー州やペンシルベニア州)には、数多くの蒸留所がありました。しかし1920年の施行で、全体の99%以上が事業の継続を断念し、廃業しました。

蒸留器(ポットスチル)などの設備は競売にかけられるか解体され、熟成中の樽も廃棄されました。

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スコットランドやアイルランドには、創業200〜300年という老舗蒸留所がいくつもあります。

一方、アメリカで100年を超える歴史を持つ蒸留所はごくわずか。この理由は、禁酒法の14年間で、伝統的な生産体制や技術の継承が完全に途絶えたことにあります。

奇跡の生存劇:「フォアローゼズ」と薬用ウイスキー

絶望的な状況の中、ごく一部の業者だけが生き残りました。鍵になったのは、前章で触れた「医療用ウイスキー(処方箋用)」の販売許可です。

全米で医療用ウイスキーの販売を認められた蒸留所(または所有企業)は、わずか6社(ブラウン・フォーマン、グレンモア、フランクフォート蒸留所、シェンリー、アメリカン・メディシナル・スピリッツ、A. Ph. スティッツェル)でした。

その代表格が、現在もバーボンの代名詞として知られる「フォアローゼズ(フランクフォート蒸留所)」です。

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フォアローゼズが生き残れた理由

・所有会社(フランクフォート蒸留所など)が、医療用ウイスキーの販売ライセンスを獲得した。
・医師が「強壮剤」や「心臓疾患の薬」として出す処方箋にもとづき、薬局を通して合法的にお酒を供給し続けた。
・販売免許のおかげで、熟成中の在庫(樽)を手放さずに済み、1933年の禁酒法廃止後もスムーズに市場へ復帰できた。

2-2. 世界の銘柄に起きた大再編(カティサーク誕生・アイリッシュ失墜・カナディアン急成長)

アメリカ国内でウイスキーが作れなくなったことは、国外の生産国に特需と、予期せぬ悲劇の両方をもたらしました。

① カナディアンウイスキー:密輸ルートで急拡大

アメリカと長い国境(五大湖や陸路)を接するカナダは、密売人(ブートレガー)にとって最高の仕入れ先でした。

アル・カポネなどのギャング組織がカナダ産ウイスキーを大量に買い付け、船や車で全米へ密輸します。その結果、カナディアンウイスキーはアメリカ市場のシェアをまたたく間に押さえました。

現在の「世界5大ウイスキー」の一角という地位は、ここで揺るぎないものになっています。

② スコッチウイスキー:「カティサーク」の誕生と大ヒット

スコットランドでも、禁酒法下のアメリカ市場を狙ったビジネスが展開されました。代表例が、1923年にロンドンの老舗酒商ベリー・ブラザーズ&ラッド(BBR)社が発売した「カティサーク(Cutty Sark)」です。

  • 開発の狙い:アメリカ人の好みに合わせた、飲みやすくライトな味わいのブレンデッドウイスキーとして生まれました。
  • 届け方:公海上(いわゆるラム・ロー。密輸船が集まる国際水域)まで合法的に運び、そこから密売人の手で全米へ広がりました。
  • その後:飲みやすさと品質の高さでアメリカに熱狂的なファンがつき、禁酒法の廃止後もスコッチを代表する大ヒットブランドに成長しました。

③ アイリッシュウイスキー:偽物の横行でブランドが失墜

もっとも悲劇的な被害を受けたのが、アイルランドのアイリッシュウイスキーです。

禁酒法の前は、アメリカ市場で圧倒的な人気を誇っていました。ところが禁酒法時代になると、ギャングや密造業者が、粗悪な工業用アルコールに着色・着香しただけの偽物を作ります。それに「アイリッシュウイスキー」のラベルを貼って、大量に売りさばきました。

ユースケ
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アイリッシュウイスキー失墜の流れ

・悪質な密売人が作った「毒入り・粗悪な偽物」が、「アイリッシュ」として全米に出回る。
・飲んだ人が激しい二日酔いや健康被害を起こし、「アイリッシュは危険で粗悪な酒」という悪評が定着する。
・禁酒法が明けてもイメージは回復せず、アメリカ市場のシェアを壊滅的に失う。

 

ちょうどこの時期、アイルランドは対英独立戦争後の経済封鎖にも見舞われました。この二重の打撃で、かつて世界シェアの頂点にいたアイリッシュウイスキー産業は壊滅状態に陥ります。1960年代には、数えるほどの蒸留所しか残らないところまで衰退します。

3. 禁酒法が生んだ「光と影」

禁酒法は「全米からアルコールの害毒を追放する」という高い理想のもとで始まりました。ところが実際には、社会に凄惨な被害(影)をもたらすと同時に、予想外の文化(光)も開花させています。

3-1. 【影】ギャングの台頭と「毒入りアルコール」の恐怖

お酒の需要が根強く残るなか、供給だけを全面的に禁止した結果、巨大な闇市場(ブラックマーケット)が生まれました。

ギャング組織(アル・カポネ)の躍進と治安の悪化

お酒の密造・密輸・密売は、非合法になったことで莫大な利益を生むビジネスになりました。この資金源を握ったのが、シカゴの暗黒街を支配したアル・カポネをはじめとするマフィア・ギャング組織です。

  • 闇酒場(スピークイージー)の激増:街の地下室や、看板の出ない隠し部屋に、潜り酒場が次々と開業しました(ニューヨークだけで数万軒あったといわれます…すごいな 笑)。
  • 警察・政治家の腐敗:ギャングは潤沢な資金で、警察官、検事、市長、禁酒法取締官を次々と買収しました。摘発を逃れながら、利権を広げていきます。
  • 抗争の激化:縄張り争いの銃撃戦が日常化し、1929年の「聖バレンタインデーの虐殺」のような凄惨な事件が頻発しました。街の治安は大きく悪化します。

工業用アルコールの毒性と大量中毒

密売されたお酒には、体に有害な毒物が混ざっていました。

当時、工業用アルコール(燃料や溶剤用)が飲用に流れないよう、連邦政府はメタノールやガソリンなどの有害物質を添加して飲めなくする処置(変性アルコール)を義務づけました。ところがギャングは化学者を雇い、これを再蒸留して中和しようとします。処理は不完全なまま、市場に流れました。

結果として、粗悪なメタノールによる中毒で、全米で数千人以上が死亡しました。失明や身体麻痺など、重い障害を負った人も多く、凄惨な公害事件に発展しています。

犯罪を抑え、道徳を高めるための法律が、かえって巨大犯罪組織を育てました。さらに、国家が関与する形での大量中毒死まで招いています。

これが禁酒法最大の「歴史的皮肉」とされています。

3-2. 【光】カクテルの誕生と、女性の自由の獲得

社会に暗い影を落とした一方で、禁酒法時代の反骨精神と工夫は、現代につながる華やかな文化を生みました。

粗悪な酒を美味しく飲む工夫:カクテル文化の進化

当時流通していた密造酒(ムーンシャインなど)や密輸酒は、品質がきわめて劣悪でした。強烈なえぐみや雑味、臭みがあったのです。

闇酒場のバーテンダーは、「このままでは売り物にならないお酒を、どうやって客に飲ませるか」という課題に直面します。出した答えが、砂糖、フルーツジュース(レモン、ライム、オレンジなど)、シロップ、炭酸水を大量に混ぜて、味をごまかす技術でした。

以前は一部の高級ホテルなどでしか親しまれていなかったカクテルは、こうして一般大衆に一気に広まりました。現在のアメリカン・カクテルカルチャーの礎が築かれた時期です。

ユースケ
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禁酒法時代に人気が高まったカクテル

ハイボール(1890年代にはすでに存在。粗悪なウイスキーをソーダで割って飲みやすくする飲み方としても親しまれたといわれます)
柑橘系のカクテル(古くからあるジン・フィズなど)
ミント・ジュレップなど既存のレシピに、シロップや果汁を多用して酒の臭いを消すアレンジ手法の定着

男性の聖域からの解放:女性の酒場進出

禁酒法の前、アメリカの一般的な酒場(サルーン)は「男性専用の社交場」でした。女性が入ることは、社会的に強いタブーとされていました。

ところが、禁酒法時代に生まれたスピークイージーは、最初から「違法な空間」です。世間体やタブーにとらわれませんでした。

  • 男女混合の社交場へ:秘密の会員制スタイルをとっていたため、洗練された雰囲気づくりの一環として、女性客を歓迎しました。
  • ライフスタイルの変化:ジャズの生演奏に合わせて男女が飲み、踊るスタイル(フラッパー・カルチャー。自由な装いと振る舞いの若い女性たちの流行)が広がりました。女性が自由にお酒を楽しむ文化が定着しています。

「酒場は男性の無法地帯」という古い概念が崩れました。女性の社会進出や、夜の社交場での自由な立場を後押しした点で、禁酒法は予期せぬ社会的成果をもたらしたと評価されています。

ユースケ
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今じゃ「女性の入店お断り」なんて店は炎上もの。ですが、いまだに、女性一人での来店(男性との同伴ならOK)をお断りしている店(BAR)はあります…

禁酒法時代の名残にしては、少々やりすぎですよね(笑)

4. 禁酒法は本当に「大失敗」だったのか?(歴史的再評価)

「ギャングを肥え太らせ、粗悪な密造酒を蔓延させた愚かな大失敗」。これが、現代における禁酒法の一般的なイメージです。しかし近年の歴史研究では、本来の目的において一定の成果があったという再評価が進んでいます。

4-1. 世界恐慌(1929年)と禁酒法の終焉(1933年)

14年近く続いた禁酒法に終止符を打った最大の要因は、国民の道徳的な反省ではありません。「経済的な崩壊」でした。

世界恐慌と税収不足

1929年10月、ウォール街の株価暴落をきっかけに、世界恐慌が全米を襲います。深刻な不況と大量の失業者で、国家予算は逼迫しました。

  • 酒税の復活:禁酒法の前、連邦政府の歳入に占める酒税の割合は非常に大きなものでした。財政難に直面した政府や、かつて禁酒運動を支援していたロックフェラーなどの起業家は、主張を変えます。「お酒を解禁して酒税を集め、国の財政を立て直すべきだ」という立場です。
  • 取締費用の削減:効果の上がらない禁酒法取締部隊に莫大な予算を使い続けることが、限界に達していました。

憲法修正第21条による廃止(1933年)

1932年の大統領選挙で、民主党のフランクリン・ルーズベルトが「禁酒法の廃止」を公約に掲げ、大勝しました。

1933年12月5日、合衆国憲法修正第21条が批准され、修正第18条は撤廃されます。全米を巻き込んだ14年間の壮大な社会実験は、ここで幕を閉じました。

4-2. 「実は目的を果たしていた」禁酒法の成果

禁酒法は、ギャングの台頭や闇市場の形成といった副作用が強烈だったため、「大失敗」と語られがちです。ただ、法の制定を主導した人々が本来掲げていた目的に照らすと、はっきりした成果も残しています。

① 政治と酒造業界の癒着を断ち切った

禁酒法の前のアメリカでは、酒造業者や地元の酒場(サルーン)が政治家と結びつき、労働者の票を買い叩いたり、政界に強力なロビー活動をしたりする腐敗が常態化していました。

禁酒法でいったん業界が解体されたことで、国家が特定の酒類業界の税収に過度に頼る構造や、政治家と酒場の癒着が断ち切られました。

② アルコール消費量の激減と、健康・労働環境の改善

  • 消費量の変化:15歳以上1人あたりの年間アルコール消費量は、施行前の約2〜3ガロンから、1ガロン前後まで減少しました。
  • 持続的な影響:禁酒法の廃止後も、消費量が禁酒法以前の極端な高水準に戻ることはありませんでした。
  • 健康と社会への影響:肝硬変による死亡率の低下、アルコール依存症患者の減少、シラフで働く労働者の増加による生産性の向上、街中の泥酔者の減少など、社会面・衛生面で明確なプラスの効果がありました。
ユースケ
ユースケ

禁酒法は「ただの愚策」ではなかったと見られています。政治腐敗の防止と、国民のアルコール消費の抑制。この本来の目的をおおむね達成し、世界恐慌という経済危機を機に役割を終えた歴史的な転換点、という意味では再評価されている部分もあるようです。

5. FAQ(よくある質問)

Q1. 禁酒法時代、個人でお酒を飲むこと自体も逮捕の対象でしたか?
A. いいえ、逮捕の対象ではありません。
禁止されていたのは「製造・販売・輸送・輸出入」です。施行前に買ったお酒を自宅で飲むこと(個人の所有・消費)は合法でした。
Q2. 「フォアローゼズ」が禁酒法を生き延びられた理由は何ですか?
A. 医療用ウイスキーの販売ライセンスを持っていたためです。
全米でわずか6社しか申請・取得しなかった免許のおかげで、熟成中の在庫を手放さずに済み、廃止後すぐに市場へ復帰できました。
Q3. カクテルが禁酒法時代に流行したのはなぜですか?
A. 密造された粗悪なお酒の雑味や臭いをごまかすためです。
果汁やシロップ、ソーダなどを混ぜて飲みやすくするバーテンダーの工夫から、カクテルが一般大衆に広まっていきました。
Q4. 禁酒法時代のウイスキーは、今でも飲めますか?
A. 当時の瓶そのものを飲むのは、極めて難しいでしょう。代わりに、現行品の「禁酒法スタイル」のボトルがあります。
医療用ウイスキーとして出回った当時の瓶は、入手が難しくなっています。その代わりに、バッファロー・トレースの「Prohibition Collection」や、オールド・フォレスターの「1920 Prohibition Style」のように、禁酒法時代の物語をテーマにした現行ボトルが発売されています。
オールド・フォレスター1920は、医療用ウイスキーが100プルーフ(度数50%)で瓶詰めされていたことを踏まえ、熟成中の目減りを見込んで115プルーフ(度数57.5%)で造られています。ただし、当時の味の再現をうたったものではありません。

 



 

まとめ:ウイスキーのグラスを傾けながら禁酒法に思いを馳せる

禁酒法解禁後の写真(みんな楽しそう!)↑

1920年から1933年までの14年間、アメリカを揺るがした「国家禁酒法」を振り返りました。ポイントは次の4つです。

  1. アメリカ国内の99%の蒸留所が壊滅し、伝統的な酒造りの技術が途絶えたこと
  2. 薬用として生き残った「フォアローゼズ」と、アメリカ市場を狙って生まれた「カティサーク」
  3. 密輸ルートで急成長したカナディアンと、偽物の横行で失墜したアイリッシュ
  4. 粗悪なお酒から進化したカクテル文化と、女性が手にした自由な社交の場

禁酒法がウイスキー業界に残した傷跡は、とても深いものでした。同時に、現代のお酒文化を彩る多様な進化の種をまいた期間でもあります。

今夜、お気に入りのウイスキーやカクテルを味わうときは、ぜひ100年前の禁酒法時代に思いを馳せてみてください。グラスの向こう側にある歴史が、いつもの1杯をより味わい深くしてくれるはずです。

ユースケ
ユースケ

あなたの人生がウイスキーで幸せになることを願っています。最後までご覧頂きありがとうございました。それでは、また。

【お酒に関するご注意】
年齢確認: お酒は20歳を過ぎてから。未成年者の飲酒は法律で禁止されています。
健康への配慮: 妊娠中や授乳期の飲酒は、胎児・乳児の発育に悪影響を与えるおそれがあります。
適正飲酒: お酒は楽しく適量を。飲酒運転は法律で厳しく禁止されています。
マナー: 飲酒後は節度ある行動を心がけましょう。

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この記事を書いた人
かきざきゆうすけ

柿﨑祐介(かきざきゆうすけ)
BAR WHITE OAK 店主。1985年生まれ。青森県出身。ウイスキーとワインをこよなく愛する。調理師専門学校を卒業後、パティシエ、料理人を経験。2011年からバーテンダーとして働く。2022年1月20日 東京・銀座にBAR WHITE OAK(バーホワイトオーク)をオープン。JSA認定ソムリエ。ウイスキー文化研究所認定ウイスキーエキスパート。Jr.野菜ソムリエ。ダビドフ認定シガーソムリエ。

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